思い起こせば
今日は、息子の学校の写生会です。場所は盛岡城跡公園です。私が中学校の頃の写生会は、午前中に5割ぐらい完成させて、野外炊飯をしました。
私はカレー作りの当番で、段取りに忙しく、ろくに絵なんか書かなかったような気がします。今から、35年も前の話で〜す(^-^)/
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私はカレー作りの当番で、段取りに忙しく、ろくに絵なんか書かなかったような気がします。今から、35年も前の話で〜す(^-^)/
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コメント (0)お隣の加賀野医院の水野カツ先生が一昨日逝去されました(享年91歳)。
当院の開院以来、私も家族もスタッフも、風邪の時、予防接種の時、健診の時など本当にお世話になりました。いつも笑顔で優しく対応して下さって、検査結果などご自分で知らせに来て下さるような気さくな先生でした。
謹んで先生のご逝去を悼み、生前のご厚誼に心から御礼申し上げます。
水野カツ先生のご親戚である、金子克彦先生(花巻市ご開業)から、水野先生のご略歴を頂戴いたしました。
水野カツ先生(旧姓 三神)は岩手県一関市で大正9年4月1日にお生まれになりました。生家は18代続く医者の家系で、祖父、父だけでなく親戚の多くの者が何らかの形で医療に携わっていたそうです。兄弟姉妹8人で、兄が二人おり、四女として東京帝国女子医専(現東邦医大)を卒業後、東北大学で研修、内科専門。医師であったご主人が40歳台で他界されたことを機に釜石市から盛岡市に転居。加賀野医院を開院されました。
金子先生のお母様のお話しでは、幼い頃から正義感が強く、医師としての仕事が趣味のような方であったとのことです。たとえ患者さんが一人しか来なくなっても一生懸命、生涯診療を続けると言っておられたそうです。
つい1年程前まで現役で診療されておられました。医者として人に奉仕することが生きがいであった水野先生。正にご自分の信念を貫いた生涯であったかと拝察いたします。
水野先生、本当にありがとうございました。安らかにお眠り下さい。
合掌 平成二十一年七月八日 中野廣一
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