「盛岡城に淡路丸?!」
先日東京での矯正セミナーにでかけるおり、盛岡駅の新幹線乗り場2階フロアに、史実にもとづいて復元したという「盛岡城」のステンドグラス模型が展示してあるのに気がつきました(写真)。
内部からの照明で復元されたお城の模型が幻想的で優しい光をはなっておりました。
「盛岡城」は残された石垣の美しさだけでも東北三大名城(他、若松城、白河城)の一つに数えられるほどです(国指定史跡)。
建物も現存していたらどんなに素晴らしいお城であったろうかと想像をかきたてられました。
お城の建物を目で追ってゆきますと、天守櫓の下に「淡路丸」という名前の場所があることに気がつきました。
盛岡城の中になぜ「淡路」が?!と素朴な疑問が湧きました。
話はかわりますが、東京の老舗の蕎麦屋「藪そば」は神田の淡路町にあります。
町名の「淡路」は付近にある淡路坂に由来し、坂の上に鈴木淡路守の屋敷があったことからつけられました。淡路守は旧国名の淡路(兵庫県の淡路島)の出で、淡路は阿波路(阿波=徳島へ行く道)」から来ているといいます。
盛岡城の「淡路丸」の方は、調べてみましたがどうもはっきりしたことはわかりません。
甲斐源氏の流れをくむ南部氏の譜代の家臣に福士氏がおり、明徳2年(1391年)に福士政長が将軍足利義満に不来方を賜り、初代不来方城主となりました。政長はその後に福士伊勢入道慶善淡路に改名しました。
不来方城は不来方北館“慶善館”と不来方南館“淡路館”に分かれていたといいますから、2つの館の名前は政長の名前に依っていたことになります。
元和年間(1615-24)に南部利直によって盛岡城と改称された後も淡路館の名前は残っており、それが「淡路丸」になったものと思われます。
「淡路」の由来は福士氏が元々淡路の出身かその地の支配に関わった者の末裔であったためではないかと推測しております。
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